在宅緩和ケア

在宅緩和ケア

私たちは「住み慣れたところで、自分らしく生きることを支える」ことが在宅緩和ケアだと考えています。病院ではがんでないと緩和ケアを受けられませんが、在宅ではそんな制約はありません。

とはいえ、最新の医療機器が揃い、ナースコールを押せばすぐに医師や看護師が駆けつけてくれる病院を離れることへの不安は当然あるでしょう。しかし、在宅でも病気による痛みや精神的な苦痛などを和らげることは出来ます。そして、“在宅にはあなたの大事な人の力”、“家の力”があります。

自分の最後をどう締めくくるかを前向きに考え、自分自身で決めたいと考える人が増えています。家ではあなたとあなたの大事な人たちが主役です。私たちはそれを支える脇役でありたいと願っています。

在宅で看取ったお二人の事例を紹介します。

事例1:30代 女性 乳がん末期

在宅医療期間26日 訪問回数23回 緊急訪問回数9回

在宅療養支援診療所の医師より依頼あり。
入院中に胸に溜まった水を抜き、息苦しさがなくなったために退院となりました。しかし背骨に転移したため下半身麻痺となり、車椅子生活となっての帰宅となりました。

訪問看護は退院直後から関わり始めました。
Aさんは、麻痺で動けない自分への悔しさ、退院直後から胸に水が溜まり、息苦しさがまた始まったこと、在宅酸素療法(HOT)を再開しなければならなくなったことへの辛さから、幼児退行(子ども時代へと精神状態が逆戻りすること)が始まりました。

主たる介護者は母親と父親でした。昼間は母親、夜は交代で介護をし、動かなくなった足のマッサージ、数時間おきの体位交換、食事介助、清潔介助などを続けていました。

Aさんは、呼吸の苦しさや食事量の減量を訴える一方、病気が悪化していることを受け入れたくない、という思いがありました。そこで訪問看護師は、食事をする時にHOTを使用することや、シャワー浴の前にオプソ(鎮痛剤・呼吸苦の改善)を利用すること、気分転換のアロママッサージや足浴を行い、マッサージの方法をご家族にも説明すること、などを行いました。
Aさんはマッサージで気分転換をすることで夜間も眠れるようになりましたが、徐々に胸水が貯まり、入院して胸水を抜くことになりました。

疲労困憊だった家族は、これで少し休息が取れると喜んでいました。Aさんも、呼吸が苦しく、死んでしまうのではないか、と考える夜の辛さから解放される、医療者が常に側にいる病院へ入院することで安心できる、と思っていました。しかし入院してみると、自宅にいた時両親がしてくれていたような手厚い介護は望めず、自分のしたいように体を動かしたい、遠慮なく頼める家族の側にいたい、家に帰りたい、という思いが募っていきました。

胸水が減り、呼吸の苦しさが改善したところで、本人の希望通り退院となりました。しかし退院後すぐに呼吸苦が始まりました。また、病状の悪化に伴い痰が増えたため、常に、痰を取って欲しい、息が苦しい、眠れない、ここもそこも苦しい、と訴えるようになりました。訪問看護師は、訪問時に痰のドレナージを行い、しっかりと痰を取りきるように吸引しました。また、吸引器の使用方法を家族に説明し、手技を確認して患者さんの希望するときには痰が取れるようにしました。しかし、看護師が吸引をすると楽になり、眠れるから、と希望があり、痰の多い日は夕方も訪問することになりました。Aさんは調子が良い時は痰を自力で出すことも出来ましたが、痰が溜まってくるとパニックになってしまう様子でした。そこで看護師は、Aさんが落ち着いて痰を出すことが出来るように、繰り返し対処方法を伝えました。また、マッサージや足浴などを続け、一日の中でリラックスできる時間を作るように配慮しました。

さらに病状は進み、腰痛も出現してきました。そこで、痛みと呼吸苦の緩和のためにモルヒネの持続皮下注射を始めることになりました。

体の辛さがなかなか取れないAさんでしたので、家族の不安は非常に強く、自宅療養することに徐々に迷いが出始めていました。そのため、訪問時には毎回看護師とお母様は別室で話をしました。分かりうる今後の見通し、医療者にできる対処、家族が出来る対処、異常の早期発見方法などを説明しました。ご両親は、精一杯のことをしたい、本人の家にいたいという気持ちを支えたい、でも、これが最善の方法なのか、そろそろ自分たちの体も限界だ、という思いで揺れていました。

そこで訪問看護師は以前入院していた病院の緩和ケア病棟への入院について家族に相談しました。家族から、Aさんには緩和ケアという言葉は使用して欲しくない、また、自分たちからうまく話をすることができないので看護師から本人の希望を聞いて欲しい、と依頼されたので、治療をするためではない病棟へ入院することに対してどう思っているのか、話を聞きました。Aさんは、今は辛いけれど、病院にいても同じなら、不安だけれど出来るだけ家にいたい、でもどうして良いか分からないこともある、と答えました。そこで、いつでも入院できるように緩和ケア病棟への入院の手配をしておくこととしました。

そして徐々にAさんの体調は悪化し、Aさんの不安も増して、家族だけではなく、常に看護師に側にいて欲しい、という希望が出てきました。家族の疲労も限界に近づいてきました。そこで、病院へ入院希望を告げました。数日経って病院から入院可能と言う返事が来た時、すでにAさんは死の直前でした。この時、ずっと主たる介護者であった奥さんを立ててきたご主人が、最後までAさんを自宅で看取る、と宣言しました。奥さんは、渋々ご主人に従い、病院へ入院をお断りました。

もういつ亡くなってもおかしくない、という状況の中、Aさんは時折、遠方からきた兄家族と共に穏やかな時間を過ごしました。これまでの苦しみが嘘のような、昔のAさんに戻ったような笑顔の数日。これまで何も口に出来ない数週間を過ごしていたAさんでしたが、この数日は、好きな紅茶を口にし、冬にアイスクリームを食べたい、と言って買ってきてもらったアイスを嬉しそうに頬張っていました。そして家族水入らずの中、最後の時を自宅で迎えました。

10日後、訪問看護師はご家族の家へ伺いお焼香させていただきました。奥様が最後の時をどんな思いで過ごされていたのか、入院させた方が良かったと後悔していないか、看護師は気になっていました。しかし奥様は『亡くなるその時まで私と父親が交代で面倒をみていました。娘は父親に足をさすってもらいながら亡くなりました。病院では出来ないことだったと思います。大変だったけれど、とても貴重な時間を過ごすことができました。』と話しました。奥様の涙の中には、十分やったという思いも込められていたように思えました。

事例2: 60代 男性 肝がん末期

在宅医療期間25日 訪問回数17回 緊急訪問回数2回

Bさんは肝臓がんの末期で黄疸が非常に強く出ている状態でした。ここまで黄疸がひどければ通常は会話も出来ず、昏睡状態になり、いつ亡くなってもおかしくない状況でした。しかしMさんは『家に帰ってリハビリをしたい』と入院していた病院の主治医の反対を押し切って半ば強制的に退院してきました。自宅に帰ってからは毎日家族に車椅子を押してもらってあちらのスーパー、こちらの量販店、とウィンドウショッピングをしていたそうです。自宅にマッサージやリハビリの方に来てもらいたい、ということで家族がケアマネジャーを見つけ、在宅療養支援が始まりました。

Bさんのように病院の外来へ通っていても、ご自宅で様々な医療支援を受けることが出来ます。車椅子のレンタルや手すりの設置、ベッドの導入など介護保険で療養環境を整えることが出来ます。介護の手が必要な方はヘルパーが訪問することも出来ます。そして病院だけでは体調の管理が不安な方には訪問看護師や在宅医に自宅に来てもらって体調管理をしてもらうことも出来ます。

Bさんは、自主退院してから2週間、病院の外来へ何とか通っていましたが、この頃は段々体がだるくなり、体調の変化もみられ、次回の外来予約の日が来るまで家族が不安になってきた頃でした。自宅に来てくれて、何でも相談できる人がいた方がきっと心強いだろう、とケアマネジャーさんの提案で訪問看護が始まりました。

Bさんは、当初予想していたよりも体調は悪い状態でした。訪問看護師の目には、今日明日の間に何があってもおかしくないと思えました。とはいえ気持ちはとても前向きで、家での生活を心から楽しんでいました。そこで、体調のすぐれない場所、今困っていることをお聞きし、それを一つ一つ解決していくようにしました。

便秘や体の痒みなどが落ち着いてくると、これからのことをお話しするようになりました。Bさんは『自分の病気のことは知っている。でも今病院に戻る気持ちはない』と言いました。奥様は、『最後まで家で看られるかどうかは分からない、でもいつ何があってもおかしくない状態であることは十分わかっている、今は夫の言う通りにしてあげたい』と言いました。

そこで、何かあった時、家に来てもらう在宅医をお願いするか、それとも病院に行くか、どちらが良いかを話し合ってもらいました。結果は家に医師に来てもらいたいということで、在宅医の往診が始まりました。

病院の外来へは行っても行かなくても良い、ということでしたが、Bさんは外来受診日になると、『どこかへ出掛けたいけれど、他に行くところがないから』と言って病院へ出掛けて行きました。訪問マッサージを受け、黄疸のために痒い体を楽にするために、好きな時間にお風呂に入り、家族と毎日どこかへ出かけながら一か月が経とうとしていました。

明日にもない命と言われ続けて一か月。徐々にBさんの意識が朦朧としてきました。病院にいた時は、体調が悪化して意識が朦朧としてくると暴力をふるったり、暴言を吐いたりしていたBさんでした。奥さんはそんなことになったら家にはいられない、と思っていましたが、家でのBさんは病院とは違ってとても穏やかでした。ウトウトしながら今日はスイカ、今日はウナギ、明日は冷中華が食べたい、など気持ちだけは食欲旺盛で、一口二口食べて満足してはまたウトウトと眠っていました。

Bさんには娘さんがおり、毎日自宅へ来ていました。ただ、介護はほとんど奥様一人が行っており、リビングの床に寝ているご主人を一か月近く介護しているので疲労感もたまってきました。ケアマネジャーも看護師も、ヘルパーの導入やベッドの導入、娘さんと協力してはどうか?など声掛けをしていきましたが、奥様はがんとしてどれも拒否されていました。

ある日奥様が『私、もうだめかもしれない。意識があるうちはかわいそうだけど、意識がなくなったら病院へ入院してもらおうと思うの。もう自分が倒れそう…』と言いました。看護師は今まで奥様が十分に頑張ってこられたことを言葉にして伝え、その後に『意識がなくなってもきっと大丈夫ですよ。それは突然起こることではなくて、とても自然なものです。ご主人の意識がなくなれば、奥様も少し休めるし、眠れるようになって体も楽になりますよ。入院するかどうかはその時がきたらまた考えましょう。』と言いました。それを聞いた奥さんは複雑な表情を浮かべ、『私は今だに自宅で看取ろうという覚悟ができないんです。最初からそのつもりで連れてかえってきたわけではないし…だからベッドもいれたくないんです。』と答えました。

次の訪問日、ご自宅にはベッドが置かれていました。Bさんは薄れ行く意識の中、最後まで食事をすることを望み、体が辛くても家族と会話することを望んでいました。そして、ある晩、一度も朝まで奥さんを起こさずBさんは眠りにつきました。朝、久しぶりにぐっすりと眠った奥さんは、これでお別れだと悟ったそうです。意識がなくなったBさんは半日後、奥様と娘さんと一緒に過ごす日常の中で静かに息を引き取りました。

亡くなられた後、娘さんは言いました。『父は最後まで私に介護を手伝わせなかった。だから私は最後までそれをやり通すわ』と言って、葬儀の準備など外回りに出掛けて行きました。奥様は、旅立ちの手伝いをしながら、こんなことを言いました。『主人は幸せな人だと思います。病気が分かった時、俺は思い切り患ってやる、と言っていました。最後まで自分の思う通りに過ごすことが出来たと思います。私は何度もくじけそうになりました。でも、皆さんに支えられて最後まで何とかやり遂げることができました。これで良かったと思います。一人ではきっとやり遂げられなかったと思います。』

奥様の目に涙はありませんでした。しかし、看護師が奥様にお別れの挨拶をしたとき、どちらからともなく握手をし、共に涙を流したことは忘れられません。